7/24 遠野
河童淵@遠野市
前夜は遠野で一泊した。朝、カッパ伝説の聖地である河童淵へ向かった。お寺の裏手あるのだが駐車場は無さそうだったので近くの河童淵の無料大駐車場に車を停めて、そこから歩いて行った。カッパと義経は関係は無さそうだが、調べてみると遠野にも義経北行伝説にちなんだ場所があるので、カッパ淵は観光がてらに寄って見る事にした。
早池峰大神の石神:
駐車場の近くの道沿いに人の背丈ほどもある石碑が立っていて早池峰大伸彫られていた。その背後には青空の下、早池峰山らしき山が聳えていた。早池峰山も瀬織津姫伝説に彩られた山でとても興味深いが、今回は深入りせずに別の機会にまとめたいと思う。
ホップ畑:
案内表示に従って村中の道を歩いて行くとホップ畑があった。北上高地に位置する遠野は冷涼な気候で、昔からホップ栽培が盛んだで日本の一大産地として有名だ。日本の大手ビール製造会社のキリンも遠野ホップをブランド化したビールを発売している。
【ふるさと納税】ビール 一番搾り とれたてホップ キリン 24本 350ml 遠野産 ホップ
|
民家やホップ畑を抜けると寺社と墓地がありその脇道を抜けて歩いた。何気なく古い墓石を見ていたら長らく頭の中でモヤモヤしていたものがピカッと繋がった。墓石は縄文時代の石棒に似ていたのだ。「あっ、そうか。石棒は墓石の原型なんだ」と気付いた。遺跡や博物館の説明文では石棒を単なる子孫繁栄の祭礼具としか見ていないのだが、単なる祭祀ではなく何かしらの機能があるに違いないと思いつつも良く変わらずモヤモヤしていたが、遠野の墓石をみて、目の前の霧が晴れた心地だった。墓の裏手には地元の有志の方が再生した「蓮池」があり、殿様カエルがのんびりと岩の上で日光浴をしていた。
お寺の裏まで歩くとカッパ淵があった。川底が赤く水辺にはミズが沢山生えていた。水質はキレイで川幅は1メートル、水深は50センチぐらいか。カッパの像や祠があった。すぐ横にお稲荷さんがあったので参拝してみた。河童淵の稲荷さん。社は小さいが中はとても綺麗で周辺の人々に大事にされているのが分かった。神紋は巴水紋。神の使いは白狐。中央に鏡があり、ご神体は。。。キリストさん?河童の正体は隠れキリシタンだったのか!これは現地に来て着想した自説。ただ稲荷の神様はキリストであるという説は広く知られている。稲荷をローマ字表記するとINARIと書き、平安時代以前の万葉表記では伊奈利や伊禰奈利と書かれている。イエス・キリストが磔の刑にされた時に十字架の上に掲げられた頭文字は「INRI」(ラテン語でユダヤ人の王、ナザレのイエス)と書かれ、現在でも教会などに祀られている十字架のキリスト像の上にも書かれている。このINRIのイヌナーリという発音が転訛してINARIとなり、元明天皇の「諸国郡郷名著好字令」により縁起の良い二文字で地名や名前を表記するようにしなさいという詔により、奈良~平安時代にかけて稲荷と表記されるようになったと言われている。「稲」は「イナ」と読めるが「荷」が「ニ」ではなく「リ」と読まれていのは不思議た。「荷」の字を当てたのは何かしらの裏事情がありそうなので稲荷伝説について調査研究を深めたいと思う。
安倍屋敷跡@遠野市
河童淵のすぐ近くにある安倍館跡の堀に水が溜まっていた。遠野市には「貞任」という地名もあり安部(Ambe)氏に縁がある土地柄だ。古代、ここが日高見国の重要な場所であった事が伺える。安部氏の遺跡の横に、河童淵があるのも偶然ではない様な気がしてきた。源氏を始めとしたヤマトンチュ(天皇となった豪族一派)に殺されたヒタカミンチュ(天皇系と対立してきた豪族一派)の祟り神が、カッパなのかもしれない。カッパの姿は、負けた兵である落武者によく似ている。
山崎の金精様@遠野市
山崎地区にある金勢様を訪れた。手前にある公民館のような会館の駐車場に車を停めて、そこから歩いた。山川の雰囲気が丹波にある「真名井神社」に向かう道の雰囲気に似ていた。縄文の太古から続く祭祀場が置かれる場所は、風水的によく、清々しいと感じる場所に作られるのだろう。途中の道端には女陰の石神、男根の石神が右左に置かれていた。数分、登って行くと境内に到着。先ずはお社の前にてご参拝。社殿の右手に女陰石神、左手に男根石神が置かれていたので、日本の民が繁栄することを祈りつつスリスリと触ってから手を合わせた。
姥捨ての丘:デンデラ野@遠野市
かつて遠野の姥捨の丘があったという伝説があるデンデラ野を訪れた。「遠野物語」にも書かれているので信憑性は実際にあった話だろう。段々畑や棚田の広がる山口地区の農道を車ではしり、現場に向かう細い道が分かれている所で、車を停めて歩いた。左手は丘、右手は下に棚田が眺められた。とても見晴らしのよい丘陵だった。景色はよい。ちょっとした広場になっていて稲藁で組立られてた小さな家があった。実際にこんな家だったのかは首を傾げるが、妖精が出てきそうな可愛らしい家だった。飢餓が頻繁に見舞われた時代、60歳など決まった年齢に達すると老人たちは家族から離れ、姥捨ての地に旅立ち、そこで共同生活を営みつつ、健康なうちは農作業などにも手伝いに出たそうだ。姥捨てというと子供に山奥に置き去りにされるというイメージがあったが、質素ながらも老人だけのコミュニティーで生活し、ゆっくりと死が訪れるのを待ったそうだ。超高齢化社会の現代においてだからこそ、もとても考えさせられる内容だった。
下の棚田では農夫が刈った草を集めて軽トラに摘んでいた。肥料などに使うのだろう。近辺の田んぼや牧場は綺麗に手入れされてはいたが、放置されて草茫々の所も多かった。ここ1年北海道から九州まで車で周っているが農地や家屋の荒廃が進んでいて見るに耐えない状況だ。日本の政府は国土をどう管理維持していくつもりなのだろう。飢餓になったら、強制的に穀物を作るような農地して作らせるというが、ただでさえ地方は過疎化で超高齢化していて人はいないし農家も減る一方だ。耕作放棄地も木が生えていて原野状態だ。公務員が総出で開墾するのだろうか?太平洋戦争の時代の飢餓のしのぎ方と同じではないか。あまりにも愚策としか言いようがない。100年先、1000年先を考えて農業や共同体の在り方を考えないといけないのにと、国(公務員、専門家)への失望で悲しくなり、涙が出てくる。
荒神神社@遠野市
田んぼの中にぽつんと茅葺きの社のみがある。手入れし維持している人の愛情を感じて涙した北上の景色と同じだ。キタカミはキタカムイが転じたものだろうか駒形神社 白馬の像あるがお堂は朽ちて倒壊しかかっているのを辛うじて鉄パイプの骨組みで支えていた。風呂家 逃亡旅の義経一行に風呂を貸した家。一夜の事とはいえ、それが千年ちかくも伝承されていることに驚いた。近くのお寺に寄ってから高速道路で釜石へ
法冠神社@釜石市
夕方防潮堤に囲まれた小さな集落があった。建物は全て真新しかった。津波で家が流されて再建したのだろう。その集落横の山裾に小さな建物と鳥居があった。草刈りがされていて上まで上れた。人目を避けて入江の小さな集落の丘で宿を取ったのだろう。高速をおりてこの集落にたどり着くまでは三陸の切り立った細い崖道を辿ってきたので秘境感がひとしおだ。
駒形神社@大槌町
参道が草茫々だったので鳥居まで。住宅地の横にあった。大槌駅のラーメン屋でランチ。煮干醤油に豚チャーシュートッピングで注文したら元々焼きチャーシューと鶏肉が入ってたのでトッピングのチャーシューが丼ぶりの周りに防潮堤のようにのかって出てきた。夕方、下痢になったのはきっとこのラーメンのせいだ。
山田の道の駅@山田町
オープンしたばかりで新しかった。晩飯用に山田産牡蠣の酢飯弁当と刺し身を買った。
山田八幡宮@山田町
隣の町役場の駐車場に停車して参拝。拝殿の廂に黒い蜂が巣を作っているようだった。謎の武将の像が摂社の間に隠されるように置かれていた。義経配下の畠山氏の像だろうか。
山田湾展望広場@山田町
お返し申すの扉宮古の道の駅 トイレ駆込む。
浄土ヶ浜@宮古市
クジラ刺し身
種差海岸@八戸市
義経縁の神社に一瞬泊まる。天然芝生
蕪島と蕪神社@八戸市
夕景に美しく。カモメの鳴き声。ガソリン安い!