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義経伝説を巡る旅 2023年7月 その2

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7/23 1日目

2.猊鼻渓

 平泉の高館義経堂を巡った後、最近作られた道の駅に立ち寄った。平泉駅の裏側の北上川沿いにあった。北上川の堰堤沿いに造成されていたので昔なら氾濫原のような場所だ。ランチに弁当とトマト、胡麻餅を買った。トマトは一部潰れてたりして物は良くなかったが味は普通だった。胡麻餅は昔懐かしい味だ。昔、故郷の祖母がよく作ってくれた胡麻餅の味に似ていた。その頃は「だんす」と呼んでいた。

 平泉から猊鼻渓に向かった。名前は聞いた事はあったが行った事はなかったので立ち寄る事にした。一番奥の狭い有料の駐車場まで行って停めたがカツカツなスペースに駐車させられてスルかと思って冷や冷やした。川の橋の手前で右に曲がってお土産屋の建屋が並んでいて、そこは無料の駐車スペースなのでそこに停めればよかったと散策しながら後悔した。観覧船に乗るには待ち時間も含めて2時間ぐらいかかりそうだったので船には寄らずに河原やお土産屋を歩いてまわった。

 川の名前が砂鉄川だった。昔から砂鉄が取れたのだろう。今日でも茶釜として有名な南部鉄器。その先駆けは古代奥州王、藤原清衡と言われている。近江国などから鉄器職人を集め、茶器や鉄刀、武具などを作らせた。猊鼻渓は一関市に属しているが緯度的には平泉と同じで東に10km離れた所にあり、平泉に鉄を供給するのに適した場所。若しかしたら砂鉄川で採取された鉄で作られた刀を義経が持っていたのかも知れない。ちなみに猊鼻渓の観光化が始まったのは明治の末、それまでは地元の一部の人だけが知る秘境だった。想像力を逞しく広げると、国つ神であるエビス様の極秘の産鉄地として守られてきたのかも知れない。と古代の英雄たちが川面を船で走る姿を想像しつつ、猊鼻渓を後にした。

 

3.歴史公園えさし藤原の郷

 猊鼻渓から北へ約30km、車で40分ほどで歴史公園えさし藤原の郷に到着した。閉館一時間前という事でかなり駆け足で巡った。江刺は奥州藤原王権を築いた藤原清衡の父である経清の治めていた土地、故郷でもあり、父を殺されて逃げ去った地でもある。

公園の中も流れている川の名前は人首川。何ともオドロオドロしい名前だ。その由来はエビスの英雄・アテルイの甥のヒトカベが坂上田村麻呂により打ち首にされたという伝説に由来している。時は違えど列島内の王権同士の激しい戦いの歴史が地名に刻まれている。ちなみに、北海道にもエサシという地名があるようにアイヌ語由来の地名。

 ちなみにここが造営されたのは1993年。NHK大河ドラマ「炎立つ」の撮影地として作られ、それから幾多のドラマや映画のロケ地として使われている。森の中に突如現れるカラフルな宮殿。平安時代にタイムスリップしたような、王朝物の韓国ドラマのセットを見ているような不思議な感覚だった。

ちなみに私は「炎立つ」のドラマは見ていなかったが原作者は東北出身の高橋克彦氏。ドラマ放送に向けて小説の書下ろしが始まったが途中でドラマに追い越されてしまい。残念ながら完成はドラマが終わってからになってしまったという逸話がある。彼のミステリー小説は好きで「写楽殺人事件」「北斎殺人事件」は面白く読ませてもらった。

 義経にちなんだ義経持仏堂があった。形を見ると高館の義経堂を模擬しているようだ。武蔵坊弁慶の人形が横に控えているのはキャッチ―な感じだ。お堂の前に立って手を合わせたが神妙な気持ちになれないのは観光客用の建物で魂がこもっていないからな気がした。

 パンフレットの地図を見るとアラハバキの祭祀場が書かれていたのでいってみると沢筋のジメジメしたクマが出そうな場所に作られていた。ストーンサークル擬きの立石が垣で囲まれていた。信仰と自然の本質を理解していない人間がつくるとこんなことになってしまうんだなぁと残念に思った。縄文遺跡は見晴らしの良い大地に作られるし、神社も小高い鞍部で湧き水があるような場所に作られる。こんな鉄砲水が来そうな場所に人は住まないし霊場とはしない。

その3につづく

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