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義経伝説を巡る旅 2023年7月 その1

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旅のしおり

 以前、三陸を通った際に源義経ゆかりの地が沢山ある事を知り、今回の三陸の旅で義経北行伝説の地を巡る事にした。1日目は平泉の高館義経堂、猊鼻渓、観福寺、奥州藤原の里を訪れた。その夜は遠野で夜を明かした。2日目は、遠野の名所・名跡の河童淵、安倍屋敷跡、山崎金精様、姥捨の丘、荒神神社、風呂屋、慶雲寺を訪れた。遠野の後は三陸道を北上して、釜石~大槌~山田~宮古~八戸と義経北行伝説の地を旅した。

7/23 1日目

1. 平泉

 東北道の平泉スマートICで下りて平泉の街中を通り、平泉町営の駐車場に停車した。日曜日という事もあり混雑していた。金色堂に寄ろうかなとも思ったが前に見た事もあるし、他にも行きたい所があったので今回は寄らない事にして徒歩で高館義経堂に向かった。車で来た道を歩いて引き返えす形になった。線路を渡った先の集落の中で「高館義経堂」の看板を見つけた。そこの坂道を上っていくと左手に砂利の駐車場があった。五台ぐらいは入りそうなスペースだった。有料の町営駐車場まで行かずにここに停めればよかったと少し後悔した。

高館義経堂への入り口

 坂を上り森の中に入っていくと蝉時雨が降り注いできた。暑いなぁ~と額の汗を拭きつつ歩いているとスズメバチが正面から飛んできたので咄嗟にしゃがんでやり過ごして、小走りで道を引き返した。しばらくしてから恐る恐る戻るといなくなっていた。上を見ながらびくびくしながら進むと「高館義経堂」の看板が見えた。階段の横に小さなお宮のような建物があり、そこで入場券を買って階段を上った。道沿いには高館義経堂の説明版もあるので、時間に余裕のある方はご覧あれ。

階段を上がると眼下に北上川を眺める事ができた。あー気持ちいい眺めだ。ここに立つと高館が北上川の河岸段丘の縁だと言う事が実感できる。義経もここに立ち、北上川の雄大な流れを眺めたのかと思うと感慨深かった。写真では分からないがこの先は崖になっていて、直下には舗装道が走っていて狭い道を車がひっきりなしに往来していた。昔は北上川が現在よりも湾曲していてここの崖を削っていたのだろう。

高館からの北上川の眺め

 先ずは一番上にある義経堂に向かった。四面対称な小さなお堂があった。正面はガラス張りで中には義経の像が祀られていた。5月人形のような立派な兜が印象的だ。兄の源頼朝の討伐から逃れる為、身を隠し北陸を通り奥州藤原の地へ逃亡した彼はこの地で命を落としたとも、戦争の勃発前に既に北へ旅立ち、北海道、ユーラシア大陸へと渡りチンギスハンになったとも伝えらえている。

 扁額には「?幡大明神」と書かれていた。最初の文字は何と読むのだろう?源氏の守護神は「八幡神」、ただ八には見えない。糸に似ているので糸の略字かな。調べてみると、糸幡と書いて「バン」と読み、特殊な法要に使われるらしい。義経と何か関係のある法要なのだろうか?それとも何かを暗示しているのだろうか?壇ノ浦の戦いで義経が平家を滅ぼしたのが1185年。鎌倉軍と奥州藤原氏との合戦が1189年。頼朝が死んだのが1199年。チンギスハンがモンゴルを統一したのが1202年。今年が2023年。およそ800年の時を経ても尚、民衆に手厚く祀られている。

 途中にあった資料館に立ち寄ってみた。欧州藤原氏の系図、源義経の系図

逃亡ルートや年代などがパネルで説明されていて詳しく読んでいたら結構な時間を要してしまった。館内の奥には阿吽の仁王像が置かれていた。だいぶ朽ちてしまっていて所々接着剤で補強されていた。これ以上ボロボロにならないように室内に移動したのだろう。長い間、義経堂を守っていてくれたのだろう。ご苦労様でした。

 

 頼三樹三郎という、安政の大獄で死刑になった幕末の尊王攘夷派の志士の詩碑もあったが詳細は割愛する。興味がある方は現地で説明版を読んでみて欲しい。

 石祠や石神も並べられていた。祠の祭神は不明。石神には三峯山、馬櫪神、庚申塔という刻印が見られた。時々、神社の片隅や古い街道筋に石神・石仏が並べられているがその類だろう。かつてはそれぞれの場所に祀られていたが集落の荒廃、河川や道路の工事、自然の災害などにより一つの霊場に集約されて現在に至る。所謂、合祀だ。三峯山、馬櫪神、庚申塔はそれぞれ興味深いテーマだが、今回は義経さんがメインなので深堀は、またの機会に譲ることにしよう。

 松尾芭蕉。言わずと知れた江戸時代の俳人。奥の細道で有名な一句「夏草や兵どもの夢の跡」。句碑が義経堂とは反対側の草むらに建てられていた。彼がここを訪れたのは1689年。義経が生きた時代から約500年後の時間が経っていた。松尾芭蕉がみちのくの旅に出たモチベーションは歌に詠まれた名所、歌枕の地を訪れ、自分の目で確かめたかったから。一見は百聞に如かずを実践したからこそ、その名を俳諧の歴史に刻む事ができたのだ。彼が平泉を訪れる事に決めたのは平安時代の旅する歌人、西行の存在が大きかった。つまり芭蕉さんも、今日で言う所の「聖地巡り」で平泉を訪れたと言う事で、今も昔も人間のする事は同じだなとシンパシーを感じた。 

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 漂泊の歌人と評される西行は生涯に二度も平泉を訪れている。一度目は30歳頃、奥州十二年合戦の地、衣河を訪れ「とりわきて 心もしみて 冴えぞわたる 衣河みにきたるけふしも」という歌を詠んだ。西行は出家後の名前で、その前は藤原義清という名で北面の武士をしていた。彼の先祖は奥州藤原氏と同族だったので平泉を訪れたのは自らのルーツを探る旅でもあったのだろう。二度目は70歳頃。時は1186年、源頼朝と奥州藤原氏の合戦が勃発する1189年の三年前。東大寺再建の為、藤原秀衡に砂金の寄付を嘆願するため平泉を訪れている。また、その途中、鎌倉で源頼朝とも会い、同様に東大寺再建の嘆願をしている。源頼朝に会い政治状況を肌で感じた西行は、平泉で源義経に秘かに会い、事前に逃れる事を勧めたのかも知れない、ここ高館から北上川を眺めながら。

その2 に続く

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